人生で初めて『自分の心の醜さ』に涙した経験

2話目で話した通り、私はそれまで仲の良かった家庭を壊したのは間違いなく【父】だと思っていました。
あんなに仲の良かった4人家族の心はバラバラになり、私は高校生でしたが、家に帰りたくはなかった。家に帰るとケンカしているからです。夜もなるべく遅くまで外にいたかったし、バイトだって始まる何時間前に家から出て、コンビニの外で時間を潰していました。しかし、妹は…
妹は一人で家にいる。その狭間で苦しんでいる。私は、なるべく家に帰りました。妹がその環境に一人でいるのは不憫だと思った。
ついに、両親は別居。母は実家に帰った。。。
それでもホッとした。母が苦しむ姿はもう見たくなかった。「別れた方がいい…」そう思った。だけどこれは、子どもが『もう、この両親は仲良く過ごすことが出来ない。もう2度と元の家庭には戻らない』と悟ったときに行きつく考え。
家族でいつまでも仲良く過ごすという選択を、希望を捨てたとき。
このままケンカの絶えない環境で過ごすのか。離れて過ごすのか。この2択しかないのだと悟ったときに行きつく考え。

私は母のいる母の実家に遊びに行った。帰り際…「またおいで」と言われた。
一緒に住むことが当たり前と思っていた母に、「またおいで」と言われた。違和感と悲しさで今でもセリフを覚えている。

そんな父を調べても、何にも感じなかった。しかし、助言は「とにかく3点調べなさい。」
仕方なく続けていたそんなある夜…私はその日の想起を終え、寝床に就いていた。明日も早いと目を閉じていたが、その瞼の裏に幼いころの父の姿が映ったのだ。
私が小学生だった。妹と、まだ幼い3人の従姉妹もいた。5人の面倒を見ている父の姿が映ったのだ。
1番下の従姉妹はまだ歩くことも出来ない年齢で、その従姉妹を父がおんぶ紐でおんぶしながら夕食を作っていた。その後ろ姿が私の瞼の裏に焼き付いて離れないのだ。
父は、子どもの面倒見がとても良かった。母や叔母を自由に外出させ、自分が面倒を見るといつも言っていた。
そこからは、私の父に対する態度が出てきた。憎しみを覚えてから私は父にあからさまに冷たい態度をとっていた。
無視もした。『ムカついているんだ。』『軽蔑しているんだ。』という態度も示した。
しかし父は、私を叱ることは一度もなかった。「誰のおかげでここまで成長したと思っているんだ!」というような言葉も一度も言われたこともない。
この時!
もう私は、私の心の汚さ、醜さが許せなかった。なんて汚くて歪んだ考えなのだ…と涙が止まらなかった。
今まで、本や映画、人との別れや出会いで涙したことはあったが、自分の心の醜さを恥じらい、涙した経験は初めてだった。同時に、私は愛されていたのだ。と強く思った。父の愛情を感じたのだ。
小学校のキャッチボール、腰を痛めて片道2時間ほどの整骨院に唯一の休みを費やして毎週通ってくれた。
このような、たくさんのして頂いたことを、あるきっかけによって見失っているのだ。
自分の人生をスタートから今まで見てみると、それはそれは数えきれないほどのことをしてもらっているにもかかわらず、一つの憎しみで全てがなかったことになっている。
確かにその当時は自分にとってとても辛い経験だった。それを否定するつもりもない。しかし私が学んだことは、例えその人の全てを受け入れられなくても、その人へ感謝は出来るでしょう。ということだった。

この体験が、今の私の考えを支えてくれていると感じている。
今も、父とは自分の子ども(ちちにとっては孫)とも会ったり、交流をしている。

この経験のベースが私のブログの『1週間前の夕食は何ですか?』の内容につながっています。
興味があればぜひ、読んでみて下さい