地元のあるお寺の広報誌を読んで

ここから抜粋

『鬼滅の刃』という物語は、鬼に家族を殺され、唯一生き残った妹は鬼と化してしまったという炭次郎が、鬼殺隊(鬼退治集団)に入り、鬼を退治しつつ、妹を人間に戻すため活躍するという物語です。
鬼は人間を食べると成長する(強くなる)ので、どんどん襲って殺して食べていきます。とても腹が立ちますし、怖いのですが、物語の中で、鬼になった経緯なども描かれています。

ある鬼は人間であったときに、病気の父親に薬を飲ませたいがゆえにスリを働き、江戸を追放されます。とある武術道場の主と出会い、武術を習ったり病弱の娘の世話をする中で、いい方向に進みだすのですが、隣接する剣術道場の門下生たちの企てによって、お世話になった道場主やその娘を失います。自暴自棄になっているその時に鬼の主と出会い、鬼となっていきます。
また、鬼殺隊の隊員の人生も描かれています。身寄りのない子どもたちの世話をしていた者は、子どもを鬼から守るためにも戦いますが、子ども殺しの容疑を掛けられ投獄されます。そこで鬼殺隊の主に救われ、入隊します。

私は、この二人は、大変なその時に鬼に出会うか、鬼殺隊に出会うかで、逆もあり得たのだろうなと思いました。
ある時、親鸞聖人はお弟子の唯円さんに尋ねます。

聖人

私の言う事を信じるか? 言う通りにするか?

唯円

それは、その通りでございます。

聖人

人を千人殺したら救われると言われたら殺せるか?

唯円

聖人の仰せではありますけれど、一人も殺すことはできません。

聖人

ではなぜ、私の言う通りにすると言ったのだ。このことから分かるのは、何事も自分の思う通りに出来るのであれば、救われるために千人殺すことができるであろう。ところが、千人どころか一人も殺すことができないというのは、そういう縁が無いからだけであって、お前の心が良いからというわけではないのだ。逆に、殺さないと思っていても、縁があれば百人・千人殺すこともある。(中略)縁があれば、どんなことでもしてしまうのだよ。

「絶対的な善人も、絶対的な悪人もいないのだ。縁があれば、何をしてしまうか分からない。そんな危険性をこの身いっぱいに抱えているのが私たちなのだよ。」との親鸞聖人のお示しでありました。