人生で初めて『自分の心の醜さ』に涙した経験
さて、私が入職した病院は依存症からの回復に【自己を見つめる】機会をプログラム内に取り入れていました。
それまでの人間関係が、依存症によって機能を果たせなくなってしまったのです。そこで、自分の幼少期から振り返り、自分は愛されていたことに気付く作業をしてもらいます。その発見により、自分の今後の人生がどうあるべきか…。自分の人生について今一度考えるのです。
詳細はさておき、私も治療者側の一員。その体験を自ら経験するのです。当時の私は、まだまだこの治療について詳しくなく、「経験すれば何か仏のようになれるらしい 」ぐらいにしか理解しておりませんでした。
(実際のところ、人間ですから、仏のようになんてなれません。私の思い込みです。)さて、方法は単純でした。幼少期から3年ごとに母親から①してもらったこと②して返したこと③迷惑かけたこと、この3点を思い出すだけです。母親について自分の今の年齢もしくは母と離れた年齢まで思い出したら、また次は父親についてなど、対象者を変えていく。
ただ、ひたすらに1週間対象者や年代は変わりますが、この3点について調べ続けるのです。その間は人とも話しません。唯一、定期的に面接に来る面接者にその時間調べた内容を報告するのみ。
私は、母についてまず調べました。幼少期から、大変お世話になったのは言うまでもありません。入学式、遠足のお弁当、運動会も朝早く起きて大きな重箱に毎年弁当を作ってくれました。最初は、こうした大きなイベントが出てきます。
そのうち、忘れ去っていた何気ない日常のやりとりも記憶の奥底からあふれてきます。
母については若かった頃から”強い母”でした。仕事を休むことが嫌いでした。責任を重んじていたのだろうと思います。私を必死で育て、母としての愛情をたくさんもらいました。しかし、改めて考えないとなかなか心から思うことは難しい。なぜなら、これだけ安全を保障された現代では、どうしても当たり前になってしまう。
戦時中、いつどうなるかも分からなかった時代や、国に置いては人の命の尊さや周りのありがたさが身に染みて分かるのですが、身に染みる機会が少ない。嬉しいことですが、本当の感謝は忘れてしまいがちです。
しかし、私の心の醜さを教えてくれたのは、母ではありませんでした。
次に調べることになる【父】です。父に対する自分を調べる中で、自分の心の醜さをえぐられるように体感するのです。
次回は、父を調べて一体何が分かって、自分の中に何が起きたのかお話ししたいと思います。