1回目に続き、今回は忘れている記憶を思い出すことが何になるのかを伝えていきたいと思います
幼いころから順に過去を振り返るということは、これまでの人生の道のりを、全体として見られるということ
自分が幼い時からの思い出を振り返ることは、その一部しか見ることが出来なくなってしまった自分の人生を、一歩でも二歩でも後ろにさがってもう一度眺め、自分の人生全体を見られるようにすることだと思います。
昔、母はどんな格好をしていた?どんな音楽が流行っていた?自分の好きな食べ物は何だった?1週間前の夕食も簡単に出てこないのですから、何年も何十年も過去のことは簡単には出てこない。こんなことをヒントに思い返してみると、少しずつ記憶がよみがえり何気ない日常の一言や、やりとりが思い出されていくと思います。たいてい、この何気ない一言ややりとりが自分にとって印象深く、大切なワンシーンだと気づくことは多いでしょう。そのような食事内容や、そこからのやりとりを通じて何が分かるのか・・・。
『愛情』です。
不幸な人生だと嘆き、時には生きる目的さえ失いかけていた自分は、たくさんの愛情を注いでもらっていたのだと気づくのです。特に幼いころは大人に支えてもらわなくては生きていけない。幼いゆえに支えてもらったお返しもできない。お金を払うわけでもない。労働の戦力になれるわけもない。それは周りも分かっているはずなのです。それでも母や父や周りの人物が支えるのは、『無償の愛』なのです。
見返りなんか望んでない、ただ愛おしいゆえの行動なのです。この思い出は、どの人間にとっても宝です。私たちは、この宝をすっかり開かない引き出しにしまっているのだと思います。
この目まぐるしい激動の時代で少し、このことを思い出して、自分の宝を思い出してみるのもいいのかなと思っています。皆が持っている。今生きている以上は誰かに支えられているからです。
作るのではなく、すでに持っているのです。その自分だけの宝を引き出しから取り出してみてはどうでしょうか。